コロナ対策から垣間見える論路が破綻する道筋

「医療崩壊するから検査しない」という事を政府や医療関係者が平然と論じてる。
初期段階のクラスター対策が正常に機能している時点では、「感染者と濃厚接触者のPCR検査に重点的に力を入れる」という対策も有効だったのかもしれない。が、今は「感染者が追いかけきれない」状況になっている。このため、実際にはどれだけの感染者数になっているのか誰にも分からない状態になっているというのが正確なところだろう。
現状は医療崩壊につながるような感染増加が始まっているが、そのような状況でも「医療崩壊するから検査しない」は論理的に破綻している。

また、「検査しないから現実が正確に掴めていない」という状態が続いているが、これは何が起きているかを正確に把握できないままに対策を立てる事につながるので、正しい状態とは言えない。しかし、この状態をおかしいという人は少なく、「現場で頑張っている人がいる中でそういうことを言い出すのは・・云々」「今、自分にできる事を頑張ろう」という主張の方が多いように感じる。

で、コロナとは全く関係ないが、ちょっと気になったのが第二次世界大戦の大本営発表である。
「日本軍の戦果を過大に報道し続けた」という状況だが、「そのような世の中はおかしい」のだが、現在はどうだろう。「誤った数字が普通に報道される」「テレビのコメンテーターは誤った数値を元に現状分析や対策を論じている」という報道側の姿勢に加え、そこを受け入れる方も「数字は誤っているが、緊急時だから文句を言わず頑張ろう」的な論調が増えている状況は当時と全く同じじゃないのか。

コロナ以前からテレビや新聞が誤ったことを報道することは日常茶飯事になり、政治家も役人も信用できない状況が続いている。嘘や誤ったことが報道されることに慣れ、そこを誰も追求しなくなっている。
そういう状況が続いた中で「対策の根拠となる数字が正しく把握されていない」「現状を正確に把握できていない」ことが大きな問題とならず、良識ある人ですら「みんなで頑張りましょう」という主張を始めている。

ちょっとおかしくないか。
「コロナを蔓延させてやろう」という悪意を持っている人もいなければ、数字を誤魔化すことが正しい事とは誰も思っていない。
それにも関わらず世の中は誤った情報や論理的な誤りを容認し、現状を正しく認識しようとせず、根本的な問題解決よりも体裁を取り繕うことを是とする世界に向かい始めている。