これはある企業においてシステム化を推進した時の事例です。
この企業は他社に先んじてシステム化投資を行い、業務効率化は進んだものの、ある時点からシステム化が一気に停滞してしまいました。
販売業務はコスト削減に成功

この企業では、「見積書・納品書・請求書で同じ内容を記載している」「書類作成だけで残業しなければならないこともあり、無駄ではないか」という声が上がり、業務効率化を目的に販売管理ソフトを導入しました。
販売管理ソフトを無料で試行したところ、請求書や領収書の作成にかかる時間が大幅に短縮され、作業時間の短縮と残業代も削減できることが明らかになりました。
明確な費用対効果(ROI)が得られると判断されたため、有償ソフトの契約に関しても経営層の理解も得やすく、導入はスムーズでした。
導入後は実際に業務が効率化され、数字でも成果が示されました。こうしたわかりやすい「効果」があるIT投資は経営判断としても通りやすい傾向にあります。
経営基盤の強化(情報共有)は却下
業務効率化を進めた後のステップとして、社内の情報共有基盤を整えるためにグループウェアを導入したいという声が出てきました。
この背景として、作業時間の短縮により余裕が生まれたものの営業手法には個人差が多く、顧客開拓のためには属人化した情報を共有することが有効であるという話が出始めたためです。
しかし、経営層からは「導入によって何が、どれくらい良くなるのかが見えない」「情報共有したからといって売上拡大に直結するかが不明確」との理由で却下されてしまいました。
この企業では、販売管理ソフトを導入した後に、給与計算の作業負荷を低減させるために出退勤ソフトと給与計算ソフトも導入していました。
効果が明確なソフトの導入に成功したことが続き、この企業では「適切な投資かどうかは費用対効果で判断できる」という考え方が定着してしまい、これが費用対効果を明示しにくいソフトウェアの投資を躊躇させるようになってしまいまいした。
IT投資の評価に「費用対効果」以外の視点も必要
IT投資の評価として以下の3つのアプローチが知られています。
IPA 情報システム導入時の価値評価と合意形成に関する調査
- コスト・アプローチ:導入や維持にかかるコストと、それによって削減されるコストとの比較
- インカム・アプローチ:将来生み出す利益やキャッシュフローに基づいて評価
- マーケット・アプローチ:同種の技術・知的財産の市場価値に基づく評価
しかし、これらは「数値化できる成果」に重きを置いた評価です。今回のように、組織の情報共有やナレッジの蓄積、属人化の排除といった非財務的効果を評価するには不十分です。
実際には、以下のような補完的なアプローチも有効とされています。
- リアル・オプション・アプローチ:将来の柔軟な選択肢(拡張性や成長性)に価値を見出す手法
- バランススコアカード(BSC):財務・業務プロセス・顧客・人材育成など、複数視点から効果を評価
- 戦略的アライメント・アプローチ:企業の中長期戦略との整合性に基づいて投資の意義を評価
- 成熟度モデル(Maturity Model):IT活用のレベルを段階的に評価し、組織としての成長を促す指標
- リスク回避アプローチ:情報漏洩や業務停止など、回避できたリスクを価値として定量化する視点
この事例は客観的な指標で投資の是非を判断した点は評価できるのですが、「効果が数字で見えない=導入不要」と判断してしまうことの危険性を示しています。
たしかにROIのような数値指標は意思決定に重要ですが、それだけで判断すると「将来の成長を支える投資」や「組織文化を変える仕組み」が後回しになります。
経営者に求められる評価視点の多様化
システム化の初期段階として効果が出やすいものから取り組むというのは一般的な流れです。
また、最近は「生産性向上」が話題になることも多く、費用対効果を重視するのは誤りではありませんが、導入と共に費用対効果が計測できるものだけではありません。
たとえば、属人化を解消しナレッジを蓄積するグループウェアの導入は、短期的には成果が見えづらくても、長期的には人材育成や業務の安定化に寄与します。こうした側面こそ、戦略的整合性や成熟度の観点で捉えるべきです。
経営判断においては、「数字としての効果」だけでなく、「組織全体の変革を促す仕組みとしての価値」を評価する視点が欠かせません。
デジタル化を進める中では、短期的な損益と長期的な競争力強化の両方を意識し、投資判断に多様な評価軸を組み込む必要があります。