毎年3月11日の新聞を保管しているが、今年は県外のホテルで貰った朝日新聞を入手できた。
朝日新聞で目を引いたのは、一面に掲載された記事の中に
- 各地で山を崩し、土を盛り、30年後は無人になりそうな集落もできつつある
- 拡大成長の発想と手法のまま、人口減少という現実から目を背けている例が目立つ
という表現である。
まさにこの通りで、集団移転が始まる時点から集落としての体をなさない地区も存在していることは、被災地に住む多くの人が感じているはずである。
朝日新聞は「現在進行形の復興事業の中には問題がある」ことをはっきりと示し、復興計画や事業の推進方法に誤りがあったのではないか、これからでも方向修正すべきではないかと主張している。
誰もが分かっている問題でありながら、地元メディアに目を転じると、このような表現は3月11日に限らず非常に少ない。当たり障りなく、みんな頑張りましょう、みんな一生懸命です、悪者といったら東京電力だけです...これが被災地の報道姿勢か。
「復興の過程に誤りがあった」と言っても、誰もが懸命になって計画を作り、大変な思いをして進めてきた事業である。それを分かっているだけに、「見誤ったところがあるのではないか」、「あのやり方は間違っていたのではないか」とは言えなくなっているケースが増えている。
復興の過程を振り返ってみると「今にしてみれば判断ミスだった」ということがあったり、復興事業の現状を検証してみると「好ましくない状況が生まれている」ということは山ほど発生している。そこから反省すべき点、改善すべき点があるはずだが、復興に向けて頑張っている組織が批判されることは少ない。
こういう話になると、すぐに「誰が悪者か」をいう話になるが、そういう話は別にして『好ましくない現状も起きている』という事実を認識することが必要である。そして、その原因としては、悪意がなくても計画や判断、行動に見誤りがあったことも認識すべきであろう。
コンサル的に言えば「PDCAが大事」、「当初の計画通り(Plan)に物事は進まない(Do)ので、見直し(Check)が必要」ということだろうか。
問題があると、すぐに「誰が悪者か」、「誰が責任を取るのか」、「いくら保証してくれるんだ」というような話になる傾向があるのもどうしたものかと思うが、見直した結果を改善(Act)につなげなければ、5年間の経験は何も活かされない。